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  バス 約10分(9番乗り場)
   「県庁前」バス停下車
  (バス停より約300m)











第4回探訪記

前回紀北支部として高野山電子基準点、陣ヶ嶺一等三角点、檜股二等三角点、小辺路を紹介させていただきました。
今回は西畑支部長以下、藤原理事・新家理事・谷向支部幹事・岡田理事の5名で探訪した、伊都郡かつらぎ町の電子基準点、町石道、高野龍神スカイラインの一部を御紹介させていただきます。
11月12日(水)、伊都郡かつらぎ町にある和歌山県立医科大学附属病院紀北分院の駐車場にて9時に集合、紀北支部精鋭5人(烏合の衆という人もいる)は探訪順を協議した結果、次のようになり、西畑支部長の愛車シーマに5人同乗させていただく事とする。



5月6日(晴)
西畑測量設計⑭の西畑氏、⑭キワコンサルタントの谷向氏、⑭近代技研の岡田にて、戦国時代最後の武将、真田昌幸・真田幸村父子隠棲の真田庵(正しくは善名称院)。弘法大師御母公尊像が祭られている「女人高野」と称され親しまれている慈尊院、又富有柿で有名な九度山町の役場駐車場にて待ち合せ、9時に谷向氏の車で出発。三人共小学生以来の遠足気分。
国道371号、国道480号のつづれ折れの坂道を走ること約40分にて霊峰高野山に到着。
小倉屋弁当屋にて弁当を仕入れ、高野山中学校(創立昭和22年4月現在の校舎はS45年職員数14名生徒数104名)に到着。坪井先生に脚立を借り、電子基準点写真撮影。坪井先生有難うございました。

訪問順序
和歌山県立医科大学附属病院紀北分院→車→かつらぎ電子基準点→車→九度山町慈尊院-徒歩-町石道180町石~166町石の見晴らしのいい所までの往復・・・車・・・かつらぎ町丹生都比売神社~八町坂・・・徒歩・・・120町石のある二ツ鳥居・・・車・・・高野山経由高野龍神スカイライン(護摩山休憩所)・・・車・・・和歌山県立医科大学附属病院紀北分院にて解散
最初の電子基準点は点の記の如く、管理者の県立紀北農芸高校近くにあり、南面は遮るものがなく非常に見晴らしが良い。


電子基準点「かつらぎ」説明板
「点の記」参照


電子基準点全景(南側より)


電子基準点北側より南方面の眺望
(九度山町、高野口町、橋本市方面)


県立紀北農芸高校の概要は次の通りで、クラブ活動も活発で特にハンドボールは10年連続インターハイ出場である。

学 校 名…和歌山県立紀北農芸高等学校
住  所和歌山県伊都郡かつらぎ町妙寺178番地
学 科 名生産流通科施設園芸科環境工学科
職 員 数41名
生徒総数320名
教育方針憲法及び教育基本法の精神に則り、平和を愛し、個人を尊ぶ心身の調和のとれた人格の育成を目指すとともに、農業についての科学的な知識・技術の習得を目指す


電子基準点管理者 県立紀北農芸高校

9時30分頃電子基準点を後にして九度山町慈尊院に向かう。高野山町石道の概要は下記の通りで、高野山1町石より慈尊院の180町石までが表参道の高野山町石道という。

高野山町石道
平安時代、空海が真言密教の根本道場として開創して以来、高野山は現世浄土として広く信仰を集めている。古くからこの聖地へ向かう道は幾本もあったが、それらは山に近づくにつれて合流、七ツの道に集約されて山内に入って行く。その七ツのうち九度山の慈尊院から山上西口の大門へ通じる表参道を高野山町石道といい、開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道しるべとした道である。鎌倉時代になって、朽ちた木の代わりに石造り五輪塔形の町石が1町(約109m)ごとに建てられた。町石は空海の生地讃岐産の高さ3m30cm角の花崗岩。山上の根本大塔を基点にし、慈尊院の石段途中を最後に180町石を建て、胎蔵界180尊にあて、さらに大塔から奥の院までの36町石を設け、金剛界37尊とした。現在も梵字が刻まれた町石が残っている。はるばる参拝にこられた人々は、空海自身が登ったこの道にたどり着いたとき、どんな心持ちだっただろう。37尊、180尊を表わす町石自体が信仰の対象で、1町ごとに合掌しながら登山したという。天皇、上皇から庶民まで参拝登山したこの道は、まさしく祈りの道、信仰の道であった。さて山上は天下の霊場、117の寺院や堂塔大伽藍があり、天然記念物でもある奥の院参道の杉並木の下には、諸大名をはじめとする数十万基もの供養碑や歌碑、句碑がひっそりと立ちならび、心鎮まる別世界である。奥の院は大師信仰の聖域で、空海の廟所までの約2・にわたり杉並木の参道が続き、国宝の経堂や貧者の一燈がともる燈籠堂などがある。金剛峯寺は全国に4000寺もある高野山真言宗の総本山で、豊臣秀吉が母の菩提を弔うために建てた桧皮葺きの荘厳な建物。壇上伽藍は、本尊胎蔵界大日如来と金剛界四仏を安置する巨大な根本大塔を中心にして、御影堂、金堂などが立ち並ぶ。宇治平等院を模した優美な霊宝館は、山内諸寺に伝わる25,000点もの文化財を保管、展示している。国宝や重要文化財も数多い。大門は高野山の総門で5間重層の表参道の大楼門。高野山町石道は、なおここから山内に入り、奥の院参道をへて御廟にいたる。
「歴史の道高野道石をたずねて」より

180町石は女人高野と呼ばれている慈尊院多宝塔南の石段中ほどにある。我々は※道中の安全を祈願し、※慈尊院、丹生官省符神社に、見晴らしが良いといわれている166町石付近の休憩所へと向かう。

180町石(高野山表参道)
慈尊院多宝塔の南、石段の中ほどにある180町石は、表参道をのぼる場合の町石である。金剛界37尊、胎蔵界180尊をかたどった仏種子を表す梵字は小川僧正信範、町数、施主名などは世尊寺経朝の書によるものである。
「歴史の道高野道石をたずねて」より


慈尊院山門

藤西谷新
原畑向家


慈尊院山門にて

慈尊院
高野山が年貢の徴収や外部との交渉場として山麓においた寺務所で、高野政所ともいわれ、後に弘法大師が母公(阿刀氏)の没後、伽藍を建て、弥勒菩薩を安置したため、以後女人禁制の高野にたいし、女人高野ともよばれ女性の参拝者も多い。


慈尊院 多宝塔


慈尊院 本堂

丹生官省符神社
慈尊院から118段の石段をのぼった高台にある。空海が慈尊院創建のとき、その鎮守社として丹生都比売、高野御子の二神を祀った神社。社殿は室町末期の建立で重要文化財も収蔵されている。
「歴史の道高野道石をたずねて」より


丹生官省符神社 入口 階段


丹生官省符神社 入口 階段


丹生官省符神社


丹生官省符神社

180町石
この付近の町石道は現在里道、農道にも使われ道寸は1m~2mぐらいで意外と急な坂道である。道沿いに小水路が流れている所があり、沢蟹が顔を出している。
少し歩き始めると天気が良いせいもあるが汗ばんできて、500mぐらい歩いたら誰とは言わないが、もう戻ろうかと言う者も出てくる始末。そういう不埒者がいる中で最年長の藤原理事は町石道がいたく気に入った様で、春頃に全線を歩きたいとの事なので、全線踏破の折りは御報告をお願いする。
道中の畑は収穫期の真っ最中で、美味しそうな富有柿、蜜柑が手をのばせば取れる所にあり、悪魔の囁きはあるが、和歌山県測量設計業協会員というプライドが、それを阻止する。


180町石より約40分で見晴らしの良い休憩所に到着。ここで約10分程休憩して慈尊院へ戻る。登りはあまり気づかなかったが、下り道の湿った所は枯れ葉がへばりついており、滑らないようにと余分な力が足に加わり、皆若干バテ気味。


176町石


180町石


174町石


172町石


166町石


166町石付近休憩所より九度山・橋本方面を望む

慈尊院より丹生都比売神社へ行く途中に昼食時になり、24号沿いにあるティファニーという喫茶店にて昼食。
13時30分頃、約1時間(昼食時間含む)で丹生都比売神社に到着。
丹生都比売神社の太鼓橋手前の駐車場近くに猪の足跡があり、夜には猪もお参りに来ている様である。


丹生都比売神社太鼓橋


丹生都比売神社

丹生都比売神社
祭神、丹生都比売命は天照大神の妹君とされ延喜式内大社だった。空海が、この神の子、高野明神(狩場明神)がかっていた黒白2匹の犬にみちびかれて高野にのぼったという話は有名で、以来高野の守護神として敬われた。
「歴史の道高野道石をたずねて」より

丹生都比売神社参拝後、二ツ鳥居に到る八町坂登り小口まで車で行く。八町坂登り小口付近の休耕田では猪がぬたくった跡があり、この付近は相当猪が多そうである。
注)ぬたくる・・・泥の上をもがいてころびまわる。のたくる。ぬたうつ。「広辞苑」より
八町坂は慈尊院付近の町石道よりなお急勾配の土道の山道で、皆さん相当疲れた様子である。約30分で二ツ鳥居に到着。二ツ鳥居の休憩所で寝転がって休憩。ひんやりとした空気が疲れた身体を包み、非常に気持ちが良い。


西谷藤新
畑向原家
丹生都比売神社にお尻を向け記念写真を撮る不届者


猪がミミズ?か何かを探した後


八町石でのバテ顔

二ツ鳥居
二つとも高さ約6mの花崗岩製、一脚の重さ約4.5トン。現在は鳥居に額はないが、記録によると丹生大神と高野大神の額がかかげられ
二神を祀る丹生都比売神社の鳥居とされている。
「歴史の道高野道石をたずねて」より


二ツ鳥居休憩所よりの眺望


二ツ鳥居


二ツ鳥居説明板


町石道と高野山道路交差した部分の看板


39町石(高野山道路沿い)


町石道と高野山道路交差した部分の看板


38町石(高野山道路沿い)


37町石(高野山道路沿い)

慈尊院側

高野山側


37町石付近 高野山道と町石道交差部分

高野山側

慈尊院側


1町石(高野山内)


3町石(高野山内)



二ツ鳥居を後にして車で高野山道路(国道370号線)、高野山にある町石の一部を訪ねる。その後(社)和歌山県測量設計業協会が昭和63年に20周年を記念して桜を植樹した高野龍神スカイライン(和歌山県道路公社による有料道路であったが、平成15年10月1日より無料)に入り、護摩山山麓にある休憩所までのドライブを楽しむ事とする。記念植樹の桜は15年経過し立派に成長しているが、季節が季節だけに少々寒々しい。


20周年記念植樹桜(藤原カメラ)

護摩山休憩所より
スカイラインに入ってから約30分で護摩山休憩所に到着。標高1280mだけあって霧が下から吹き上げており肌寒い。展望は素晴らしいが、そこそこにして休憩所喫茶店でコーヒーをいただき、身体を暖めてから帰路につく。
少々慌ただしい紹介でしたが、紀北支部第2回の報告を終わります。参加された皆様、ご苦労様でした。


護摩山休憩所展望塔




護摩山休憩所より